ALUMNI INTERVIEW 01
ジョン・カビラさん
ラジオパーソナリティ
ジョン・カビラさんのご紹介
- 名前
- ジョン・カビラ
- ご職業
- ラジオパーソナリティ
1958年沖縄県生まれ。国際基督教大学(ICU)在学中に米UC Berkeley編入を経て、ICU卒業。CBSソニー在籍中にFM横浜でDJデビュー。1988年J-WAVE開局とともに同局のナビゲーターに。サッカー番組からドラマ、ドキュメンタリーまでテレビ番組への出演も多数。
2025年ギネス世界記録®「サッカービデオゲームコメンテーターの最多出演数」。ギャラクシー賞、日本放送文化大賞、日本民間放送連盟賞ほか。
SPECIAL TALK
【特別インタビュー】ジョン・カビラさんが語るICUでの原点
――「何事も経験、臆せず飛び込め!」
国際基督教大学(ICU)祭実行委員会によるアラムナイインタビュー企画。今回は、メディアの第一線でナビゲーターやナレーターとして活躍し続けるジョン・カビラさん(ID81)をお迎えしました。ICU進学の経緯から、伝説的なD館ダンスパーティーの思い出、UCバークレー留学での葛藤、そして長年培ってきたプロとしての仕事論まで、熱量あふれる言葉をたっぷりとお届けします。
01 ASIJからの進学と「学びの幅広さ」への期待
まずはじめに、数ある大学の中からICUへ進学された理由について教えていただけますか?
高校がほぼ野川公園を挟んで隣接しているアメリカンスクール・イン・ザ・ジャパン(ASIJ)なんですね。当時は、アメリカンスクールから日本の大学に進学する選択肢が非常に限られていて、事実上、上智大学の当時は比較文化学科、現在の国際教養学部かICUかという二択に近い状況でした。ただ、消去法でICUを選んだわけではありません。
キャンパスの豊かな環境はもちろん、実際に英語で講義が展開されていること、そして比較文化といった特定の狭い領域だけでなく、社会科学や人文科学、さらには自然科学も含めて、幅広い分野から履修科目を選べる環境に大きな魅力を感じていました。加えて、海外留学の可能性が多様に提示されている点も決め手でした。高校生活で培った英語力や知見をより生かし、高めることができるという強い期待を持って受験し、入学しました。
ご自身のバックグラウンドを生かしつつ、多様な学問に触れられる環境に魅力を感じられたのですね。
そうですね。自分の知識や経験を深め、さらにそれを昇華させることができるキャンパスだと感じていました。
02 伝説の「D館ダンスパーティー」と学内サッカーリーグ(ISL)
学生時代を振り返って、特に印象に残っているエピソードや好きな場所はありますか?
印象に残っている活動でいえば、「ISL(インターミューラル・サッカー・リーグ)」という学内サッカーリーグですね。入学した年だったと思いますが、先輩方の尽力で設立された校内リーグです。私は「TGD(スリーグレードドラゴンズ)」というチームで、先輩や同期と一緒にディフェンダーとしてプレーしていました。本格的な部活動よりも気楽に参加できましたし、フィールドで先輩方と汗を流した時間は本当に宝物です。
それと、お気に入りの場所といえば間違いなく「D館」ですね。クラスとクラスの合間の時間に、友人たちと集まってまったり過ごすのが日常でした。
D館ですか!私たち現役生もよく利用しますが、当時はどのように過ごされていたのですか?
実はね、D館でダンスパーティーを開いていたんですよ(笑)。旧D館の部屋を借り切って、当時のディスコ、今でいうクラブのような空間にしてね。
当時、父がNHKに勤務していたので、そのツテをたどってNHKの技術さんからドライアイスを使ったスモークマシーンを借りてきたんです。フロアに本物のスモークを焚いて踊っていました。さすがに本格的な照明までは用意できませんでしたが、D館を見事にダンスフロアに変身させていましたね。
その時、一緒にイベントを仕切っていたのが、ASIJの後輩で、CBSソニーレコードでも私の後輩となり、その後、ソニーの社長を務めた平井一夫くんです。当時は「一夫」と呼んで一緒に盛り上がっていました。今となっては良い思い出です。
03 キャリアの原点とメディアでの表現論
ICU卒業後はCBSソニーに入社され、その後ラジオナビゲーターやテレビ出演など多岐にわたるキャリアを歩まれています。現在の仕事の原点について教えてください。
CBSソニーレコード(現在のソニー・ミュージックエンタテインメント)には6年4ヶ月在籍し、海外渉外や輸出入などのビジネスを経験しました。やり切った感覚とともにキャリアチェンジを模索していたタイミングで、東京に新しいFM局(J-WAVE)が開局することになり、お声がけいただいたのがラジオの仕事を始めたきっかけです。
そこからテレビ番組のナレーションや出演、大好きなサッカーに関連する放送やゲームの仕事へと枝分かれしていきました。さまざまなフィールドで仕事をさせていただいていますが、自分にとってホームのピッチ(グラウンド)の面積が一番広くて落ち着く場所は、やはりラジオですね。
さまざまな現場で「伝える」際に、ICUでの学びが役立っていると感じる瞬間はありますか?
物事を多角的に見る視点と、オープンでフェアな姿勢(アティチュード)ですね。ICUは男女比もほぼ半々でバランスが良く、海外からの留学生も欧米だけでなくアジアやアフリカなど多様な地域から集まっていました。異なるバックグラウンドを持つ人々と交流する中で、「自分が常識や当たり前だと思っていることを一度問い直す」という習慣が自然と身についたと感じます。
また、生放送は生き物です。自分が分かっているつもりでも、それをどう言葉にして聞き手に届けるか。相手の立場を思い浮かべながら、説明過多にならず、かつ分かりやすく噛み砕くバランスを常に模索しています。国際法のゼミ(故・横田洋三先生のゼミ)で鍛えられたプレゼンテーションの経験も、間違いなく現在に繋がっています。
04 UCバークレー留学での挫折と「己の身の丈を知る」経験
長年第一線で活躍されていますが、学生時代に壁にぶつかったり、挫折を感じたりした経験はありましたか?
一番強烈だったのは、ICU3年時に留学したカリフォルニア大学バークレー校(UCバークレー)での経験ですね。UCバークレーは全米でもトップクラスの優秀な学生が集う環境です。そこで、「ICUで2年も多く学んできたはずの自分が、なぜこんなにも打ちのめされるのか」「なぜ自分の英語や知識が通用しないのか」と己の身の丈を知らされました。強烈な現実を突きつけられた瞬間でしたね。
その苦しい状況を、どのように乗り越えられたのでしょうか?
僕はもともと、物事を深く深刻に捉えすぎない体質なんです。「雲の上はいつも晴れている」という感覚で、ダメだったとしても必ず次が来ると思えるタイプなんですね。
バークレーでも、「もうやるしかない。挑んでベストを尽くそう。それでもダメなら甘んじて結果を受け入れるしかない」と腹をくくりました。後悔するよりも「次はもっとうまくやれるはず」と自分に問い続ける。伝える仕事も製品開発と違って「完成形」がない世界ですから、常に自分の中で理想を模索し続ける姿勢こそが大切なんだと思います。
05 「立場に安住しない」――フラットな対話が生み出す場の空気
これから社会に踏み出す学生へ向けて、働く上で大切にしてほしいマインドについてお聞かせください。
よく「社会人になる」という言い方をしますが、私はこの言葉に少し疑問を持っています。人は生まれた瞬間から社会の一員であって、働くことで急に「社会人」というカテゴリーに組み込まれるわけではありません。立場や身分にとらわれず、その場で自分が何を追求したいか、何が求められているかを考えることが大切です。
そして、長く仕事を続ければ続けるほど「立場や経験に安住してしまう」という危険性が生まれます。だからこそ、立場で発言するのではなく、誰しもがフラットに意見を言える環境を作ることが重要です。
経験に裏打ちされた意見も当然価値がありますが、今日新しく入ってきた人の「なぜこれはこうなっているんだろう?」という素朴な問いの中にこそ、大きな発見があります。どんな立場の人も「今日このチームにいてよかった」と思える、明るくオープンでフェアな現場作りを常に意識しています。
06 在学生へのメッセージ:「何事も経験。臆せず飛び込め!」
最後に、ICU生や若い世代へ向けたメッセージをお願いします。
皆さんの前には、自分が気づいていないところも含めて、たくさんのチャンスが転がっています。安全や他者への配慮が担保されているならば、臆することなくどんどん新しい領域に飛び込んでチャレンジしてください。
「挑戦」と気負う必要はありません。平たく言えば「何事も経験」です。うまくいかなかったことやネガティブな経験も含めて、すべてが将来の糧になります。何もしないで機会を逃してしまうことほど、もったいないことはありません。
人生は本当に長いです。最初に選んだ道がすべてではありませんし、途中で何度だってピボット(方向転換)していい。自分自身に対して優しく、変化を楽しみながら歩んでいってください。
何はともあれ、いろんなことを経験して、それを糧に成長しながら楽しんでください。Have fun, you have to have fun!